ずいぶんと写真をとってないなぁ。
久々にカメラを点検?したりしてみた。
デジカメ化が進んでいない我が家では、未だにフィルムカメラが健在だ。このところの出不精、いや撮影無精で出番は減っているが、調子は悪くないはずである。
本年から、カメラ映像機器工業会(CIPA)は、フィルムカメラの生産・出荷台数の統計の発表を停止している。生産台数が一定数を下回った場合に、報告を停止するとの内規があり、それが適用されたらしい。
デジカメの普及度合いを見れば、当然だし、2001年にデジカメの出荷台数がフィルムカメラを上回って、すでに7年が経過しているのだ。
先週、東京に出たついでに、久々に中古カメラ屋に入った。以前は、所狭しと並べられた品々を、わくわくとして眺める場所として、好きな空間であった。今でも、気持ちは変わっていないし、陳列された商品の数も頼もしいものだったが、何か違和感を感じる空間になっていた。
カメラは工業製品の中では、一際、寿命が長いと言われてきた。特に、電子化の波に洗われる前、1970年以前の製品はそれが顕著だ。中古カメラ屋には、そのころの品々も、未だに健在だ。しかし、その後の、特にオートフォーカス化されて、カメラは金属でできている常識が破られた以降の製品の数は少ない。正直なところ、古びれて、明らかに現行製品より性能の劣る電子化カメラに『魅力』を感じる人はいないだろうと思う。
先ほどの違和感は、そんなところにあるのかもしれない。電子化カメラでも、各社のフラッグシップ機(とりわけ、CANONのEOS-1系が多い)、つまり高額なカメラは、それなりの数が陳列され、なんとか価格がついている。しかし、その姿はもの悲しい。また、それでも、フィルムカメラはまだマシで、数世代前のデジカメは、それが著しいのだ。
カメラは、電子化され、高度な自動露出機能、高速かつ正確なオートフォーカス機能、手ぶれ防止機能など、機械式カメラ時代には『夢』と言われた技術を現実のものにした。写真を撮る側からすれば、すべてありがたい機能であり、撮影成功率などの効率を優先させると、旧式の機械式カメラは分が悪い。
しかし、現代のカメラでは、価値や期待は、すべて機能のみに集中し、カメラの実体には目が向けられることは少なくなった。結果として、電気機器の性能は、常に進化することを前提にすれば、『古い物=性能の劣るもの』には、単純に価値がなくなる。
それでは、機械式の古いカメラの今後はどうなるだろうか?
寿命は長いとは言え、工業製品であり、すでに新品がないとなれば、余命は幾ばくかであろう。精密機械は、時計と同じように、『今』が、『昔』より、優れているとは言えない分野である。事実、LEICA、ZEISS、NIKONなどの連動距離計機は、今でも精彩がある。しかし、残念ながら、肝心のフィルムに明日がなくなった。工芸的な価値は失われないが、実用に影響が出てくると、本来の道具としての価値が揺らいでくる。
機械式カメラの評価は、骨董的な価値に移行し、従来の実用と趣味の狭間で光を放った今の中古カメラ市場は崩壊してしまうのだろう。これは、非常に寂しいことだ。
電子化されて以降のカメラ、レンズは、AV機器と同様のカテゴリに括られて、リサイクル的な意味合いでの市場で生きていることになるのだろうか。
最近のコメント